徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2019年12月10日火曜日

9/23開催 阿木燿子講演会 開催レポート

 23日に徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークショー。作詞家の阿木燿子さんが登壇し、夫の宇崎竜童さんとの私生活や言葉の大切さについて語った。要旨は次の通り。
 
言葉の大切さについて話す阿木さん
=アスティとくしま

人生変えた夫との出会い



 小学生から高校生くらいまでは、すごく人見知りだった。登校中にクラスメートに会っても「おはよう」の一言が言えないくらい。でも、このまま一生いくのは嫌だな、変わりたいなという願望はあり、大学生から変わるんだと決意した。
 明治大学に入学し1日目、音楽の部活の勧誘で声を掛けられた。「人前やパーティーで歌ったり演奏したりする」という活動内容を聞いて「無理です」と断ったのだが、そのとき「僕が教えます」と言ったのが主人だった。
 出会った時から作曲をしていた彼が、「曲は書けるが詞が書けないから、書いて」と言うので作詞を始めた。最初は楽しかったがだんだん嫌になってきて、大学1、2年生で書いたきり結婚後も作詞はしていなかった。ところがある日、「歌手になりたい」と言い出した彼が「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成することになり、「何か(詞を)書いて」と頼まれた。久しぶりの作詞で、折り込みチラシの裏に書き殴って渡した。それが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だ。
 好き勝手に書いたものがなぜかヒットし、すごく不思議な気分だった。面はゆいような、うれしいような、自分のことでないような。それがきっかけで、山口百恵さんからも依頼が来て「横須賀ストーリー」などの作詞を手掛けることになり、気が付けば私は作詞家になっていた。
 そして、私の苦労が始まった。なかなか言葉が降りて来ず、神頼みもした。特にアイドルのような自分と年代の違う人の曲は感性が違うので困った。
 ある時、自分の中にまだ初恋をしていた頃の私がいるのではないかという予感があり、「私の中の少女さん、私に力を貸してくれない?」と声を掛けた。するとある日ふっと詞が浮かんだ。そうか、まだ私の中には10代の少女がいるんだ、と気付いた瞬間からアイドルの詞が書けるようになった。
 同じように、自分に男らしい一面を感じた時に、自分の中に男性がいることにも気付き、彼に話し掛けることで男性の曲も書きやすくなった。私の中にはほかにも、若い男の子も、年配のおじいさんもおばあさんもいる。人はたった一色ではなく、全ての人は多様性に満ち、多面体なのだ。
 言葉を扱う仕事を40年以上してきて、言葉の大切さを実感している。言葉はブーメランと同じで、私から発した言葉は私に戻ってくる。毎朝起きたら、言葉をラッピングしてほしい。バラの花をラッピングするように。それを何十本も作って、一人一人に手渡そう。
 言葉は池に投げる小石だ。小さな円のさざ波がどんどん広がる。良い小石を投げることで、そこの水辺全てがその波動で満たされていく。 (三浦麻衣)