徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2018年11月1日木曜日

10/8開催 池上彰講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」の講演会で、ジャーナリストの池上彰さん(68)が「ニュースから読み解く日本の未来〜明るい未来を実現するために」と題して語った。トランプ米大統領の動向をやさしく解説しながら、物事に関心を持ち、学び続けることの大切さを強調した。要旨は次の通り。
 
徳島新聞女性クラブで
講演する池上彰さん
=アスティとくしま

いつまでも向学心を



 日本や世界経済に大きな影響を与えているのがトランプ大統領。今何をしているかというと、2年半先にある大統領選挙の選挙運動をしている。大統領の任期は1期が4年で、連続2期まで。2期目を逃すと大統領失格との烙印(らくいん)を押されるので、負けず嫌いのトランプさんは何としても再選したいと考えている。しかし11月の中間選挙では与党の共和党が不利といわれており、危機感を強めている。
 大統領選ではいつも共和党が勝つ州と民主党が勝つ州がある。そこを取るだけではいずれの党も過半数に届かない。選挙のたびに共和党が勝ったり民主党が勝ったりする州が六つあり、スイング・ステート(揺れる州)と呼ばれている。
 この6州で支持を集めようというのがトランプさんの戦略だ。ミシガン州、オハイオ州などは鉄鋼や自動車産業が衰退し、ラストベルト(さびついた地帯)といわれる。
 そこで輸入鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税をかけた。結果、国内工場が操業を再開し、雇用が生まれた。また、日本車やドイツ車に高い関税をかけるぞと脅したり、地球温暖化を防止するパリ協定から離脱するぞと言い出したりしている。アメリカのニュースは、トランプさんの支持率が全体で30%台と伝えている。しかし、この6州で勝ちさえすればよく、あらゆる手を使っている。
 トランプさんがよく言う「アメリカ・ファースト」の背景には、グローバリズムの中で自国の産業が衰退したことへの危機意識がある。それは何もアメリカに限ったことではない。その典型がイギリス。来年3月末にEUから離脱するので混乱が起きている。EUは国境をなくし、人の動きが自由になれば戦争がなくなるとの理想の下に始まった。ところが東ヨーロッパから教育水準が高く、非常に賃金の安い労働者が大量に入り、イギリス国内で反発が強まった。
 ブラジルでは「ブラジルのトランプ」と呼ばれる候補者が大統領になりそうだし、フィリピンにも「フィリピンのトランプ」といわれるドゥテルテ大統領がいる。
 トルコではエルドアン大統領が絶対的な権力を持とうとしている。政治指導者が自国を優先するのは当たり前だが、「自国をよくするためには他国とも仲良くしなければ」と皆がしっかり考えなければならない。
 国際情勢を見る時に役立つのが新聞で、私は13紙購読している。日本で学校の授業に取り入れたところ、国語力が伸びたという調査結果もある。お子さんやお孫さんの学力向上の一つの材料としてお薦めしたい。
 AI(人工知能)がどんどん普及し、将来いろんな仕事が奪われるといわれる。でもAIは読解力が弱いそうだ。すぐに答えを出せるが、問いをつくるのは人間だけ。答えを簡単に探すのではなく、何が問題なのか、よい問いをつくる力がこれからは必要になる。
 私の父は88歳を過ぎて寝たきりになったが、広辞苑を1ページずつ読み始めるようになった。その向学心には驚いた。人は幾つになっても勉強できる。好奇心や向学心を持っていれば、いつまでも若さを保つことができる。 (廣井和也)

7/7開催 中村玉緒トークショー 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークイベントで、女優の中村玉緒さん(79)が「女優として、妻として、女として」と題して講演した。夫の故勝新太郞さんとの思い出を振り返りながら夫婦愛や人との出会いの大切さを語った。 (尾野益大)
 
夫婦愛や出会いの
大切さを語る中村玉緒さん
=アスティとくしま

人との出会い大切



 父は歌舞伎俳優で人間国宝の二代目中村鴈治郎。父の影響もあり、子役で舞台に出るようになり、女優を目指した。松竹を経て大映に入った。
 勝との結婚は映画での共演がきっかけ。子どもが2人生まれた後、勝が映画製作会社を設立すると、平和だった生活が一変。勝は映画の質にこだわるあまり、製作費を湯水のように使った。そのため会社は倒産。多額の借金を抱えた。
 あほうな男と思ったけど憎めなかった。映画に打ち込んで失敗しただけで、私を裏切ったわけではない。十数億円の借金を返すため、2人でディナーショーを開いた。私は女優として復帰し、ホテルのクラブで踊ったり歌ったりした。
 勝は、私が母親から譲り受けた指輪だけは売らなかった。勝はそういう人。指輪は今でも大事にしている。
 クラブで働いていた時期に恩人と出会い、助けられた。テレビのバラエティー番組やテレビCMに出演するようになり、着物のデザインを任せられた。どれも成功した。
 お笑いタレントの明石家さんまさんのテレビ番組に出演させてもらった。
 さんまさんから最初にオファーがあったとき、おしとやかな性格で通すつもりだったが、乗せられて素顔を見せてしまった。その後ずっと天然キャラが受けることになった。さんまさんにも感謝している。
 人生って何があるか、分からない。お金には恵まれなかったが、人との出会いには恵まれた。お金は稼ぐことができるが、人との出会いはお金では買えない。
 生活がうまい具合に回り始めて間もなく、勝の体にがんが見つかった。心に衝撃が走ったが、運命だと受けとめた。
 勝と歩んだ壮絶な人生を振り返ると、純粋で不器用な夫婦だったと思う。しかし、素晴らしい結婚生活だった。夫婦で出演した最後の舞台やインタビューの映像がある。それを見て思った。「勝新太郎の妻でよかった」と。
 勝は心のきれいな人。仕事と夢を何よりも大切にした。私はそれをどこまでも信じて疑わず、守り抜いた。勝を外国の映画に出演させてあげられなかったことだけが残念でならない。
 人生は、くよくよせず生きることが大切。「今日の出来事は、今日限りで忘れる」。私は毎晩、頭の中を真っ白にして寝るようにしている。皆さんも、人との出会いを大切にして、悔いを残さず、くよくよせずに生きてください。

2018年8月10日金曜日

第4弾 田中眞紀子講演会(2018/12/8)オープニングステージは、「花*花」によるライブ!



2000年7月 ワーナーミュージックジャパンより「あ〜よかった-setagaya mix-」でメジャーデビュー。同年末「第51回NHK紅白歌合戦」に当時は異例のスピードで出場が決定。その後「さよなら大好きな人」などシングル7枚、アルバム7枚をリリース。全国各地でライブ・レギュラーラジオなどで活躍する。2003年活動を休止。2009年3月 花*花誕生10周年を機に再始動を発表。大阪・神戸・東京にて10周年記念ツアーを開催。その後もアルバムを2枚リリースし全国各地でライブを行う。2015年8月7日(はなの日)、デビュー15周年を記念して原点回帰をコンセプトにしたアルバム「アンダーウェア」をリリース。同年12月に神戸朝日ホールにて15周年記念ツアーファイナルを開催した。両者が歌を創り、ピアノを弾き歌うというスタイルに、洋邦問わずカバー曲なども織り交ぜたライブで、日常を紡いだオリジナル曲の多くは幅広い層から共感されている。

2018年7月5日木曜日

5/12開催 デヴィ夫人講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」の講演会で、タレントの「デヴィ夫人」ことデヴィ・スカルノさん(78)が「美と健康の秘訣・・・そして、本当に幸せな人生とは?」と題して話した。インドネシアのスカルノ元大統領と結婚するまでの半生や、若さと美しさを保つポイントなどを語った。要旨は次の通り。
 
タレント・デヴィ夫人
=アスティとくしま

何事にもチャレンジを



 いつも豪華なドレスや宝石を身に着け、海外を飛び回るラッキーな女性と思われるのは非常に心外。人の3倍勉強し、努力し、働いてきた。
 私が幸運だと思うのは、戦争と貧しさの経験があるためだ。終戦後、地元へ戻るために向かった駅で、自分より小さな子どもが物を乞う姿に「自分が不幸だと思っても、さらに悲しい思いをしている人がいる」と知った。
 小学校では、公平であるべき教師たちがお金持ちの子どもを優遇するのを見てきた。その様子に不満や不条理を感じるとともに「弱い者の味方になる」という気持ちが芽生えた。
 中学校では猛勉強し良い成績を収めたが、母が月謝を借金している事実を知り、進学より就職を選んだ。千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社し、昼休みや休日は喫茶店などでアルバイトを掛け持ちして家計を支えた。都立高校の定時制で学業にも励んだ。母に連れられて芝居を観劇したのをきっかけに女優の道を志し、国際的な俳優早川雪洲の芸能プロダクションに入り、テレビにも出演した。
 女性が一番気にしている「どうすればいつまでも若く、美しくいられるか」という話題に移りたい。
 1日に少なくとも10回は感動すること。花がきれい、空気がいい、友人といい話をする。何でも構わない。感動すると体が活性化する。
 私はテレビ番組の企画で、スカイダイビングや空中ブランコに挑戦した。何事にも興味や関心、好奇心、探究心を持ってチャレンジし、喜んでいる自分を発見できる人であってほしい。何もしない人は生きたまま化石になってしまう。
 そして、人間には愛が必要だ。夫婦愛、友愛、師弟愛、隣人愛・・・良い関係をつくり、時間を共有してほしい。
 人の一生は「気」で語ることができる。「気」が付くたくさんの言葉が、それを示している。肉体から気がうせることが死だ。最後の最後まで気を張り、気を立てて生きてほしい。 (佐藤陽香)

2018年4月20日金曜日

第3弾 池上彰講演会(2018/10/8)オープニングステージは、「三浦祐太朗さん」によるライブ!




1984年4月30日生まれ。東京都出身。2008年バンド「Peaky SALT」ボーカルとしてメジャーデビュー。その後、2011年ソロ活動開始。2012年、舞台「旅立ち?足寄より」主演・松山千春役に選ばれる。同年、三浦祐太朗として1st Single「旅立ち」でソロデビュー。2016年8月 東海テレビ・フジテレビ系全国ネットオトナの土ドラ「ノンママ白書」に出演。2017年7月5日 自身の母である山口百恵さんの楽曲「さよならの向う側」「秋桜」「いい日旅立ち」他全8曲をカバーした「I’m HOME」をリリース。2017年12月 日本レコード大賞 企画賞受賞。2018年3月 「I’m HOME TOUR 2018」を開催。現在、FM NACK5 キラメキミュージックスター「キラスタ」水曜・木曜レギュラーパーソナリティ継続中。

2018年3月19日月曜日

第2弾 中村玉緒トークショー(2018/7/7)オープニングステージは、「嘉門タツオさん」によるライブ!



1959年3月25日大阪府茨木市生まれ。高校在学中に笑福亭鶴光師匠に入門、19歳で毎日放送ラジオの人気番組「ヤングタウン」のレギュラーに。が、のちに破門。番組も降板となり、その後ギターを手にライブ活動を始める。「嘉門」の名はサザンオールスターズ桑田佳祐氏の命名。「ヤングタウン」に奇跡の復活後、1983年「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビュー。その後「鼻から牛乳」などヒット曲多数。2017年3月の誕生日を機に「嘉門タツオ」と名前の表記をカタカナに改名。2017年年末から2018年年始に掛けてツアーを行うなど、CDリリース、ライブ、TV・ラジオ、執筆、SNS発信と幅広く活躍中。

2018年3月18日日曜日

第1弾 デヴィ夫人講演会(2018/5/12)オープニングステージは、丸山純奈さんがヴォーカルを務める「POLU(ポル)」によるライブ!



2016年10月、徳島市中心部にある港の倉庫街「万代中央ふ頭」のイメージソング『ミズイロ』(作詞:高橋久美子、作曲:[.que] nao kakimoto)が制作され、同楽曲のためにバンド「POLU」(ポル)の企画が立ち上がる。ヴォーカルのみ、徳島の新しい才能を発掘することを目的に、公開ヴォーカリスト・オーディションにて選出。選ばれたのは、当時若干12歳の丸山純奈。ボーカルソロでテレビ朝日の音楽チャンプ出演〜優勝、またそのYoutube動画が再生回数840万回(2018.3.14)を記録。

2018年3月5日月曜日

2/17開催 西川きよし講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークイベントで、タレントの西川きよしさん(71)が「人生は小さなことからコツコツと!」と題して講演した。芸人や国会議員として活動した経験のほか、妻でタレントのヘレンさんへの思いを語った。(橋本真味)
 
芸人や国会議員としての活動を振り返りながら、
妻や出会った人への感謝を語る西川きよしさん
=アスティとくしま

出会った人全てに感謝



 早いもので昨年、金婚式を迎えた。六畳一間のアパートから始まった生活は、一時、両親と義母を合わせて15人で暮らすまで大きくなった。現在は10人で食卓を囲む。家族が仲良く暮らすのが一番の幸せとしみじみ思う。
 両親と義母を介護していた時、妻は朝から大忙しだった。家事に加えて入浴や排せつの世話まで、大変だったと思う。そんな姿を見て、家族みんなができる限り手伝うように自然となっていた。心遣いの大切さや老いていくことについて、勉強になる経験だった。
 妻には、風呂で一日のお礼を言う。一緒に入りながら「いつも親の面倒見てもらって、ありがとう」と。
 縁あって2人は一緒になった。妻に出会って心からよかったと思う。今があるのは、これまで出会った人たちのおかげだと感謝している。中でも、横山やすしの存在は外せない。横山さんに誘われて1966年、京都の劇場からコンビは始まった。
 面白い人だった。何より競艇が一番。ネタを間違えて楽屋でけんかになった時、「漫才とどっちが大事や」と聞いたら「ボート」と言う。ボートを一生懸命やって、勝って気分が上がったら漫才を頑張れると。いろんなコンビがいるけど、(事件を起こし)裁判所で証人をさせられた相方は、なかなかいないでしょう。
 今後の人生について話す機会があり、選挙に出たいと相方に告げた。仕事を頑張って家を買い、親孝行はできた。今度は世の中に恩返しをしたいと。横山さんは「それはええこっちゃ。応援する」。家族と会社に許可を得て33年前、参院選出馬を決めた。
 高齢者施設や福祉施設の訪問を、コンビの時から続けていた。自宅に帰ると年寄りが3人いて、妻の苦悩も分かる。その経験から、多くの人が安心できる福祉の充実が欠かせないと実感していた。
 支持基盤はなく、手伝ってくれるのは選挙の素人ばかり。ウグイス嬢が名前を間違えたり、道に迷って同じ地区を何度も回ったり。大阪全域を巡ると市民が声を掛けてくれて、その一つ一つに助けてもらった。おかげさまで100万票以上獲得して当選できた。
 3期18年、ずっと無所属だった。「1人では何もできん」と言う人もいるけど、決してそんなことはない。現場に強くなるため、全国各地に足を運んで課題を探し、こつこつと政策の大切さを訴えてきた。
 1人だからできないということは絶対にない。ただ、やる気があるかどうか。これまでの経験を忘れず、社会全体を照らし続ける人生を送っていきたい。

2018年1月12日金曜日

11/25開催 海老名香葉子講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」で、落語家の初代林家三平さんの妻で作家の海老名香葉子さん(84)が「山谷越えて きれいに生きたい」と題して講演した。海老名さんは戦災孤児だった経験などを振り返り、前向きに生きることの大切さを訴えた。(藤川佳宏)
 
作家 海老名香葉子さん
=アスティとくしま

前向きな気持ち大切
戦災孤児の経験振り返る


 戦前は東京の下町で和やかに暮らしていたが、11歳の時、静岡県の親戚宅に1人で疎開することになった。母は「いつも笑顔でいなさい。(悲しくても)我慢して笑顔でいるのよ」と送ってくれた。
 1945年3月9日深夜、退避命令が出て山中へ逃げた。「東京の空が赤い」と聞き、家族の無事を祈った。
 数日後、中学1年の兄が焼けただれた姿で親戚宅を訪ねてきた。兄は「みんな死んだ。ごめん」と泣いて謝った。私は「兄ちゃんだけでも残ってよかった。泣かないで笑顔でいよう」と言った。
 石川県の叔父宅にも疎開した。叔父は「親と思って」と言ってくれたが、終戦後の10月、叔母に「面倒は見られない」と言われ困った。その後移り住んだ東京の親戚宅では叔母がいつも怒っていて「お前は死んだらよかったのに」と罵倒された。この家にも居られなくなり、独りぼっちになった。
 孤児の証明書を持っておらず、配給がもらえなかったので、いつもお腹を減らしていた。拾った鍋で雑草を炊いて食べていた。
 父の知人である先代の三遊亭金馬師匠と再会した。師匠の家に行くと、おかみさんが「うちの子になりなさい」と引き取ってくれた。「生きていける」と思い、うれしかった。
 18歳の時、林家三平が「丈夫で長持ちしそう」と嫁にもらってくれた。4畳半2間の家で暮らし、内職で生計を支えた。次第に弟子が増え、家がさらに狭くなった。にぎやかな中で、子ども4人も育てた。一人一人性格が違うので、その子に合わせた付き合い方が大切だと思った。
 50歳を過ぎて病気で倒れた夫から「後を頼む。弟子が路頭に迷うから」と言われた。40人近い弟子をどうすればいいのか困惑したが、弟子たちが支えてくれて勇気が湧いた。
 テレビ出演や本の執筆など、仕事の話があると何でもした。小学5年までしか学校には通ってなかったけど、ありのままの自分を出してこなした。
 東京・上野に空襲の犠牲者の慰霊碑と時計塔を建てた。毎年の供養の日には大勢の人が集まってくれる。あと20年は生きて、空襲で亡くなった人たちのために供養を続けたい。